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37歳の妊活というか不妊治療というかというかマーケティングとかの記録

37歳の妊活・不妊治療レポート3「不妊治療について夫婦会議した話」

説明会の夜に開催された「第一回不妊治療夫婦会議」

説明会が終わり、そのまま外食して帰宅したのも束の間、ダイニングで始まった夫婦会議。
(我が家の夫婦会議は、夫主導というか基本は夫が話したいこと、相談したいこと、不満があるときに開かれる。)

説明会の後から、今日はきっとするだろうなと思っていたので、私もすんなり席に着き不妊治療に関しての夫婦会議がスタートした。

 

▼説明会の様子はこちら

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人工授精から始めよっか。

不妊治療の流れとしては

  1. 各種検査
  2. タイミング法
  3. 人工授精
  4. 体外受精

のステップだという説明を受けたが、タイミング法をすっ飛ばして「人工授精」から始めようというのが夫の意見だった。

私の説明会に参加した感想としては、体外受精ではない一般不妊治療と呼ばれる「タイミング法」と「人工授精」に関しては、名称としては治療法ではあるが、ほぼ妊娠サポート的な方法であるという認識だった。

特に「人工授精」は、夫の精液から元気な精子をピックアップして子宮に注入することで、結局は注入された精子が自力で受精するので性行為をするかしないかだけの違いであり、現象としては性行為で妊娠するのとほぼ変わりはない。

というか、元気な精子をピックアップしてくれるということに人工授精の方がメリットがあると感じており、夫は合理的にスピード感をもって不妊治療をすすめていきたい様子だった。

性行為をするかしないかは大事なのか

私は市販の排卵日チェッカーを上手く使えていなかったので、排卵日さえ病院で確認できれば、タイミング法から始めてすんなり妊娠できるのではないかと思っていた。

夫のタイミング法はやらずに検査が終われば人工授精しようは、思いがけない発案であり、少し戸惑っていた。

タイミング法より人工授精の方が精度が高いということは理解している。
妊娠に性行為の有無を重要視するかどうかの認識の問題なのだ

結果(妊娠すること)が重要で、過程(性行為をするかしないか)は重要ではないという考えは、仕事では全く共感できるのだけども、妊娠においては過程が重要な気がすると思ったのは、私だけなのだろうか。

もし、自分が人工授精で生まれたとすればどう思うのかなど考えてみたりした。
子どもからすると、自分の出生がアイデンティティーに影響するのではないか?

私は一度それで深く感情的になった原体験があるので、人工授精から始めようという夫に二つ返事で返せなかったのだ。

性行為が私にもたらすもの

私は多分、一般的な性欲しかなくどちらかと言えば淡白な方だと思う。

性行為が愛されている証だとも思っていないし、どちらかと言えば相手が求めるから応えるといった受け身であって、私から誘ったことは一度もない。

よく考えると、私が性行為に関して今現在、特別な意識があるわけではないのだ。

とすれば、いきなりの人工授精に及び腰なのは「子供がどう思うか」を重要視しているからなのだろう。

出生とアイデンティティーの話

前述したように、出生がアイデンティティーに影響されると考える原体験は、両親の離婚危機であった。

両親が離婚するのではないかとという時、自分でも信じられないほど感情的になって泣き喚いた。

どちらかというと内向的でクール、人前、家族の前でも泣くことがとても嫌いな性格だが、その時は人目もはばからずに、兄の胸で号泣した。

両親が離婚することが嫌なんだなと思われていたと思う。

間違ってはいないのだが、その時の私は自分のアイデンティティーが否定されたことに酷く傷ついていたのだ。

両親の愛し合った結果生まれた私、その両親が離婚してしまうということは、私の存在価値を揺るがすような気持になり、深く感情的になってしまった。

10代の思春期だったというのもあるだろう。

今、両親が離婚すると言われても、その時ほど傷つくことはない、お互い人生を謳歌してほしいと思うだけである。

大人になれば許容できることは増えるし、人工授精で生まれても性行為をして生まれても、私が子どもへの愛し方が変わることはないよな、と内省した。

人工授精からスタートすることへの抵抗感は薄まり、それで治療を進めようと夫に返事をした。

「じゃあ、初回の受診の際にそう話そう」と夫は言った。

そして、そんな夫に私はどうしても確認しておきたいことがあった。

父親になる覚悟ある?

夫の意見を聞き、不妊治療を受けるにあたって私が夫に確認しておきたかったのは、「父親になる覚悟があるのかどうか」であった。

結婚前から夫は子どもがあまり好きではないと言っており(それは私も一緒だった)子どもは別にいなくていいとずっと言っていた。

どちらかというと、私の方が「絶対欲しいわけじゃないけど、子どもがいたら、いたで楽しいのかなと思う」という感じで妊活に積極的だった。

なのに、ここにきてやたら子どもを欲しがっている夫に少し困惑していた。

私が「欲しいかも」と言ってるから、じゃあ不妊治療を受けようか、という気持ちで父親になってもらいたくないなという気持ちがあったのだ。

「あるけど、何が言いたいの?」
私の父親になる覚悟があるかどうかの問いに、夫はややストレスを感じたようだ。

私は確認したいことの本質に切り込んだ。
「親になるってことは、自分より子どもを優先しなきゃいけないことが色々あると思うけど、大丈夫そ?」

夫は視野も広く、ザ・自己中な人ではないが、自分でコントロールできないことに強くストレスを感じるタイプであり、できるだけ自分でコントロールできる領域を増やし、できない領域を減らすよう未来に向けて準備のできる合理的な人なのだ。

言い換えれば、周りと折り合いをつけて自分の事を大事にできる人であり、そういう点に私は惹かれているのだとも思う。

私はどちらかというと真逆で自分のコントロール外のことに感情を左右されることはなく、「そういうもんでしょ、しょうがないじゃん」と楽観的に捉え、良く言えば寛容できるタイプなのだ。

分かりやすい事例で言えば、サラリーで働くことで、一般的には自分の時間が拘束され時間コントロールが難しいから、自分で働き方をコントロールできるよう企業するというタイプ。

その自分のコントロール領域を広げるために努力を惜しまない姿勢にはリスペクトしつつも、同時に「自分がコントロールできない現状への強いストレス」からの解放には努力を惜しまない、断固とした意思を感じる。

私は許容部分が多く、自分のコントロール領域を広げたい欲が強くないので、夫の欲求に併せてフレキシブに対応できる。ケセラセラ(なるようになるさ)精神なので、そこに私のストレスはほとんどなく、今は夫中心の生活を送っている。

しかし子どもができると、夫中心から子ども中心の生活になるのは明白であり、それに夫が耐えられるのか?というのが私の不安材料であった。

それらを説明すると、夫は「仮定の話をされても困る」「不安に思っていることは分かったけれども、その状況に今なっていないので回答を持ち合わせていない」というような返答で少し空気が悪くなった。

さらに、夫から「大丈夫だと思う、としか言えない」と言われ、気づいた。

夫に覚悟あるの?と聞きながら、結局は夫を信じれるかどうか、このひとと一緒に親になり、子育てをする覚悟が私にあるのかどうかということが大切なのだということに。

知り合って何十年、夫婦となり一緒に生活して6年、私の答えは
覚悟はある、ということだった。

 

次回は、不妊治療の初診レポートの予定です。

 

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